今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
父方の親の話である。
と言っても、じいちゃんは私が産まれる前に54歳という若さで亡くなっているのでエピソードがない。
親からの話でしかわからないけれど、とても寡黙な人だったようだ。
母からは、「じいちゃんが生きてたらあんたはじいちゃんっ子だったかもね」と言われたことがあったので、なおさら会ってみたかった、ってことだけ言っておこう。
なので、ばあちゃんの事を書く。
ばあちゃんは長生きして、ちょうど100歳で天寿を全うした。
とても気が強くプライドが高い性格で、両親(特に母)は手を焼いていた。
母にとっては義母だし、父は長男だったからなおさら大変だっただろう。
今でこそ母は私にその当時の愚痴をちょくちょく話すようになったが、おそらく氷山の一角でその苦労はまだまだ計り知れないはず。
その氷山の一角の話を聞いただけでも、私なら間違いなく逃げ出すと自信を持って言える(笑)。
母は昔から、私たち子供(3人姉妹)にはとても優しかった。
だから、母を困らせるばあちゃんを私はあまり好きじゃなかった。
でも、ばあちゃんは私たち孫のことはとても可愛がった。
私にとっては、それも居心地が悪かった。
特に30歳を過ぎても実家暮らしをしていた私に
出勤するときは
「今日はお勤めか?気を付けてな」
帰って来ると
「お帰り。ご苦労さん。お腹空いたべ?」
と、毎日声を掛けた。
そんなばあちゃんに私は基本素っ気なく、イライラすることもあった。
今思えば、そのイライラはばあちゃんに対してというより、そんなばあちゃんにどうしても優しくできない自分に対してだったかもしれない。
私自身も精神的に子供だった。
プライドが高いばあちゃんは、いつも身なりを整え、自分で仕立てた着物を身に付けていた。
90歳を過ぎても背中をしゃんと伸ばし、好きな日本舞踊を習ったり、毎日時間を決めて散歩に出掛けていた。
本当に、90代前半までは足腰もしっかりして元気だった。
でも、心臓の調子が悪くなった95歳あたりから体力が著しく低下してしまい、しゃんと背中を伸ばしていた身体は、あっという間に杖なしでは支えられなくなった。
プライドが高いばあちゃんは最初、杖を拒んでいた。
たぶん、自分が弱くなったところを見られたくなかったんだと思う。
入退院を繰り返し、病院にいる期間の方が長くなり、最期の方は家に帰れる状態ではなく病院で息を引き取った。
最期を迎えるための入院先に何度かお見舞いに行ったとき、もう起き上がれない状態のばあちゃんの枕元に近づくと
「○○(私の名前)ちゃんか?」
と人間違えをせずに声をかけてきた。
「そうだよ」
と返事をすると、とても死を目の前に衰弱している人間、しかも100歳の握力とは思えない力強い握手が返ってきてすごく驚いた。
毎日看病に来ている母や叔母が
「私たちのことは区別できなくなってるのに、やっぱり孫は違うんだねぇ」
と言っていて、なんだか今まで素っ気なくしたことに胸が痛んだ。
今でもあの力強い握手の感覚を覚えているし、本当に驚いたので葬儀のときにも祭壇に向かって
「とても力強い握力でびっくりしたよ」
と伝えてあげた。
両親も姉妹も健在の私にとって、近しい身内が亡くなるのはばあちゃんが初めてだ。
入院中、しんどそうにしている姿も見ていたから、亡くなったときは
”ああ、やっと楽になったね”
っていう思いと、
”本当に死んでしまったんだな”
っていう実感で涙が溢れた。
いつも眠っているのと同じ顔で横たわるばあちゃんの顔を触ったら、まるでずっと冷蔵庫に入ってたのかっていうくらい冷たくて、それが更に"死んだんだ"という実感を深めた。
実感するとともに、自然と
「お疲れさまでした」
と声をかけていた。
亡くなる前、夢で何度かじいちゃんに会ったと話していたばあちゃん。
でもその度に
「おまえはまだこっちにくるな」
と返されてしまったそう。
両親は
「気の強いばあちゃんにじいちゃんも手を焼いてたから、まだ来てほしくないんじゃないの」
なんて笑いながら、どこまで冗談かわからないことを言っていたけれど。
亡くなってもう4年。
じいちゃんには会えたのかなぁ。